息子と過ごした大切な日々

2015年12月17日、21歳の息子が自死。
まだ信じられない、信じたくない愚かな母の懺悔の日々。

食事

息子がいなくなってしまってから、

ご飯を食べられなくなってしまった。


家族の為に作るのだが、

いざ、自分が食べるとなると、胃がキリキリキリキリ痛みだし、ほとんど食べられなかった。


罪悪感がハンパなかった。

もう 息子は何も食べられないのに……

あんなに、食べることが大好きだったのに……

そう思うと、もう息子に申し訳なくて、申し訳なくて、どうにもならなかった。


みるみる体重が落ち、あんなにダイエットと騒いでいたのが嘘のようだ……



久しぶりに会う人からは、

なんとも言えない、悲しそうな顔で 心配された。


母親からは、「あんたがしっかりしないでどうするの!」とカツを入れられた。


半年程はどうにもならなかった。


でも、お酒を飲むようになってから

(息子の遺したお酒)少しずつ体重が戻っていき、

気付くと、胃の痛みもなくなっていた。

体重も元に戻った。


普段あまりお肉は食べないのに、急に食べたくなったり、

お酒もあまり飲まなかったのに……

毎日の様に飲んだり……


お兄ちゃんかな!?

お肉好きだったもんね……


考えすぎかな……


高校生のころ、長期休みで、朝御飯食べてすぐ、『ねぇ、お昼なに??』

お昼食べると『夜ご飯何?』

と、うるさく聞いてきた息子。


今も聞きに来てよ。


お兄ちゃんの好きな物、作るよ……

ソファー

平日は、毎朝6時に主人と次女が起きてくる。

お兄ちゃんを拝んでから、朝食。

主人は7時に、次女は7時20分頃、家を出る。


長女は8時に起きてきてから、いつも9時頃までソファーでゴロゴロしている。


そのソファーは、息子が最期に座ってた物だ。

その時、少しだけ汚れてしまったが、そこは綺麗にして使っている。


もしかして、妹達には 抵抗があるかな…と、心配したけど、


『このソファーは、お兄ちゃんが予算半分出してくれて、そして、お兄ちゃんが選んだ物だから、捨てたくない。ずっと、壊れるまで使い続けたい』と、私が言うと、


『全然平気。座り心地いいし、ずっと使おう』と、賛成してくれた。


2年ほど前、珍しく買い物に付いてきた息子が、予算の関係で悩む私に、

『半分だすから、俺 選んでいい?』

と、言ってくれて、購入したソファーだ。

とても柔らかく、ゆっくり座れて 家族皆のお気に入りだった。


誰もいない時は、ソファーを抱きしめてしまう。

息子が最期にいた付近をなでてしまう。

ソファーでなくて、私が息子を包み込んであげたかった。


息子がいた時は、大体 長女を真ん中に3人で座っていた。ゆったりした2人掛けで、息子は大きいけど、妹達が小柄なので、収まっているようだった。


私は一人掛けのソファーに。

主人が居るときは私はビーズクッションを出してきて、くつろいでいた。


もう、息子がこのソファーに座ることはないんだな……


でも、このソファーは、ずっと、ずっと使い続けていきたい。


手放したくない……


お兄ちゃん、ソファー、買ってくれて有り難うね。

嬉しかったよ……

そんなに多くないボーナスなのに……

大事に大事に使うからね。


お兄ちゃんもたまに 座りにきてよ……

歪んだ考え

息子の葬儀の後、実家の父は私を責めた。


『なんで、どうして救えなかった?!

なんとかならなかったのか?!』


『悔しくないのか?!』


お斎でお酒が進み、帰宅してからもだらだらと飲んでいた実家の父は、いつも酔っぱらっては、からみ酒になる人だった。


息子が小さかった時も、ちょっとした事で怒り、2歳の息子に

《将来、ろくな大人にならない》と絡むような人だった。


「あぁ、またか……」


お酒のせいだとわかっていても、

今日、この状況下でやられるとたまらなかった。


母に色々止められても、今度は母にからむ始末。


『自分も、救えなかったでしょ……

自分の息子も、そうだったでしょ…』


母にそう言われて 少し、大人しくなっていた。


脱力感と疲労感が半端なく、もう休みたかったが、いつまでも飲み続ける父。

飲まないとやってられない気持ちは、理解できるから 我慢していたが

モヤモヤがたまっていった。


そんな父は、いま、寝たきりになってしまった。

要介護5に認定された。

もう、自力では 水さえも飲めない。

流動食は、消極的延命措置になっている。

止めると、1ヶ月もたない、と言われてしまった。


8年程前、大腸ガンが見つかり、その時点でステージⅣで、発見が遅く、人口肛門になってしまった。

3度の手術。抗癌剤治療。再発。

そして、全身に転移。


大好きなお酒も飲めなくなって、弱ってきた所に、脳卒中を起こしてしまった。

脳の出血場所が悪く、動かせるのは 左手と、左足のみ。

そして、今は脳梗塞も出てしまい、ほとんど眠ってるようなものだ。


息子の名前は、祖父から、一字もらってる。

小さい時は畑で祖父の後をついて、よく遊んでいた。一緒にニコニコしながら、写真に一緒に写ってる。(お酒が入らないといいおじいちゃんなんだが…)


闘病生活を頑張って送っている実の父親に対して、もうすぐ息子に会えるのかも、と羨ましく思ってる私がいる……


こんなことを考えるのは、とてもいけないことなんだろうけど、とても失礼なことなんだろうけど……


私には どこまでいっても、羨ましい……