息子と過ごした大切な日々

2015年12月17日、21歳の息子が自死。
まだ信じられない、信じたくない愚かな母の懺悔の日々。

クッキングパパ

息子の配置換えは あまりにも残業時間が多いのと、夜勤が多すぎるので、その時ちょっと落ち着いてた部署に移ったということだった。


月命日に焼香しに来てくれた上司の方から聞いた。


息子にきちんと説明してくれてたんだろうか?

何故、息子は 悪い方にしかとれなかったんだろうか?


《クッキングパパ》

大きすぎる体格と、落ち着いた(老けてみえる)容姿から(笑)

お母さん方から、そう呼ばれてると、息子は言っていた。


息子から教えてもらう、会社の話は とても、

楽しく聞いていた。


あんなことがあって、物凄く心配だったけど、会社の話は 面白おかしく話してくれていた。


対人関係の悩みや、上司が怖い等、一切なかったと 記憶している。


仕事には、いろんな不満はつきものだ。

パートしかしてない、私にだってある。


あれから、大丈夫みたいだし、あまりしつこく受診と騒いでも 逆効果だろうから、少し様子をみることにして、見守っていた。…つもりだった…


いろいろ話してくれてる限りは、大丈夫。

と思ってた。


なんなんだろう、その根拠のない思い込みは……


呆れる……


息子に会って、謝りたい…

謝ってすむことじゃないけど…

もう どうにもならないけど……


今日も仏壇の息子に手を合わせる……。

忘年会(2)

息子は 息子なりにその仕事に 一生懸命向き合って 頑張ってたのに、全然認めてもらってなかったと、自分の努力したことは何だったのか、と、絞り出すように、呟いてた…


息子は 静かに、静かに 傷付いていた。


酔って動けなくなっていた息子が、動けるようになるまで、そして 落ち着くまで 抱き締めて あげることしか出来なかった。


『そんなことない、一生懸命頑張ってたのは、皆 知ってる!』

『社員だから、いろんなとこ覚えなきゃいけないからだよ』


こんなことしか 言えなかった。


そして、自分を否定する言葉しか口にしない 息子に 家族皆、お兄ちゃん大好きだよ!と、お兄ちゃんがいないと、だめなんだよと、一緒に泣くことしか 出来なかった。


『なんか、酔っばらっちゃって、夕べはごめん』


一晩寝たら 落ち着いたみたいだったけど、

私は心配で、心療内科 受診してみないかと、息子に 話した。


仕事は 多分 これからも色々あると思う。

面白くない事も 出てくると思う。


でもその度に 死にたいなんて 思ってしまうかも知れないのは、心にも、体にも良くない。それに自己否定がひどすぎる。というか、この時初めて《鬱かも?》と疑った……



この時、受診してれば……

どんなに嫌がられても、引きずってでも

連れていってれば……


仕事、辞めさせてれば……


私がきちんと動いて、息子を守ることができてれば、今も息子は 家族と一緒に笑ってたはず……


『もう 大丈夫、ちょっと酔っ払っただけだよ。それに そんなとこ 絶対嫌だ!いかないから』


息子の拒否は激しく、どうにも無理だった…。

忘年会

息子の会社は、従業員は100人に満たない

会社で、正社員と契約・派遣社員が半々程だったと思う。


息子が就職した年は 大卒の子と 二人入社だった。


仕事に慣れるまで、当たり前だが、ほんとによく頑張ってた。


まず、一日中立ちっぱなしに慣れなくてはならないし、軽く40度越す環境にも慣れないといけない。


肌の弱い息子は、皮膚科に通いながら

肌の痒さ、痛さとなんとか折合いつけて、一生懸命頑張ってた。


その年の忘年会で、全社員の投票による 最優秀社員に選ばれていた。新入社員が選ばれるのは滅多に無いことなんだそうだ。


息子は嬉しそうだった。珍しくはしゃいでた。

『凄いじゃん』

『頑張ったの、皆 見ててくれたんだよ』


実際、会社の皆からは、いろいろ 可愛がってもらってると感じてた。


飲みに連れていってもらったり(まだ未成年だったけど)

回らないお鮨に連れていってもらったり(家族で行くのはもちろん、回ってるやつ)


でも、勤務時間はもうめちゃくちゃだった。

日勤だったり、夜勤になったり……


そんなこんなで頑張ってたのに、次の年の秋ごろ、配置転換になった。


私は、普通の事だと思ってた。

社員だったら、いろんな仕事こなせるようにならなきゃだし、今の仕事は大分慣れてきてたようだし、ステップアップだろうな、と。


でも、息子は そんな風に 考えてなかった。


『死にたい… もう 死にたい』


2回目の忘年会から帰った夜、

息子は そう呟いて泣き崩れてしまった