息子と過ごした大切な日々

2015年12月17日、21歳の息子が自死。
まだ信じられない、信じたくない愚かな母の懺悔の日々。

虫の知らせ

主人は、息子が高校三年の時に、車で一時間弱の所に単身赴任した。


忙しい職場だし、月の残業も軽く100越すときも頻繁だし、召集かかれば、休みだろうが、真夜中だろうが、関係ない。


私の感覚もマヒしてたんだろうな……


息子のつらさを解ってあげられなかった。



死亡宣告されて、警察官からいろいろ質問されてて、気付いたら、主人がいた。



何も話せなかった……ただ ただ、涙がとまらなかった……


『会いにいったら、署に連れてかれちゃった』


もう、病院にいても仕方ないので、息子が帰って来るときの支度しなきゃと

家に向かった。


唐突に主人が話し出した。


『今朝、家族の夢 見てたんだ。だけど 息子だけがいない。どこ探してもいなくて、なんか、凄い気になって、4時に目覚めたんだ。

それから、眠れなくて ずっと胸騒ぎしてた』って……。


離れて暮らしてた 父親には、知らせにいったのかな…


でもね、お兄ちゃん

お父さんの夢、知ってたよね。

お兄ちゃんと、居酒屋とか、赤提灯でも何でもいいから、二人でとことん、飲んで飲んで、いろいろ腹割って話したいって……


二人とも、普段あんまり話す時間なくて、でも、なかなか時間も取れなくて、

二十歳になるの待ってたけど、月一で、土曜にお父さんが帰って来ても、お兄ちゃんは仕事で……


そのうちって、思ってたけど……


お兄ちゃん、お父さんも毎日泣いてるよ……


みんな、みんな、お兄ちゃんに会いたいんだよ……

兄妹

うちは、息子に娘が二人。


歳が離れてるせいか、ものすごく、ほんとに兄妹仲が良かった。


私が、飲食店に勤務してたので、土日祝日は凄く忙しい。娘二人で留守番だけど、休みで息子が居るときは、『今日、お兄ちゃんいるの!? やったー!』と

妹二人で、兄にまとわりついていた。(中学生になってからも)


長女が中三、次女が中ニだった。


家族皆、息子が大好きだった。


父親が単身赴任でいない間、息子が家族の中心だったかもしれない。


火葬場で、長女は泣きすぎて、過呼吸おこすところだった。


後で聞いたのだか、お兄ちゃんを火葬にしたくなかったと……。


みんな、みんな、大好きだったよ

お兄ちゃん。


会社、やめされば良かった。

『うん、いいよ。

ゆっくりして、また 次 探せばいいよ。』


なんで、こう、言えなかったんだろう……


お兄ちゃん、今は ゆっくりしてますか?


お兄ちゃん、会いたいよ……

会社

遺書はなかった


確かにメンタルの弱い子だった。



なかなか、ポジティブには なれない子だった。


でも、持ち前の真面目さで、仕事は一生懸命頑張っていた。


『残業禁止令出た』

『また、残業一位だった』


2年8ヶ月勤めて、100時間超えた残業は1回だけだったが、60時間超えは結構あった。

でも、2ヶ月続くと 次は少なくしてくれて、考えてくれてる、と思ってた。


でも、夜勤続けて、土曜休日出勤して、日曜の朝帰宅して、次の日の月曜から日勤とか、無茶ぶりが凄い多かった。


若いから大丈夫だろう、と母親の私ですら、そう考えてしまっていた。


24時間 生産ラインは稼働してるのに、夜勤時は交代要員がいないって、どういうことなんだ!?

誰もいないから、最悪トイレだけは何とかしていくけど……


段々、大丈夫なのか、心配になってきてた。


だけど、私は ただ、心配してただけ……


何もしてあげれなかった……


情けない……不甲斐ない親だった……


ごめんなさい

ごめんなさい


謝っても 謝っても、

もう 息子は戻ってこない