息子と過ごした大切な日々

2015年12月17日、21歳の息子が自死。
まだ信じられない、信じたくない愚かな母の懺悔の日々。

会社

遺書はなかった


確かにメンタルの弱い子だった。



なかなか、ポジティブには なれない子だった。


でも、持ち前の真面目さで、仕事は一生懸命頑張っていた。


『残業禁止令出た』

『また、残業一位だった』


2年8ヶ月勤めて、100時間超えた残業は1回だけだったが、60時間超えは結構あった。

でも、2ヶ月続くと 次は少なくしてくれて、考えてくれてる、と思ってた。


でも、夜勤続けて、土曜休日出勤して、日曜の朝帰宅して、次の日の月曜から日勤とか、無茶ぶりが凄い多かった。


若いから大丈夫だろう、と母親の私ですら、そう考えてしまっていた。


24時間 生産ラインは稼働してるのに、夜勤時は交代要員がいないって、どういうことなんだ!?

誰もいないから、最悪トイレだけは何とかしていくけど……


段々、大丈夫なのか、心配になってきてた。


だけど、私は ただ、心配してただけ……


何もしてあげれなかった……


情けない……不甲斐ない親だった……


ごめんなさい

ごめんなさい


謝っても 謝っても、

もう 息子は戻ってこない

前日

前日、12月16日の16時頃

生きている息子を見た 最後だ。


『いってらっしゃい。親子丼作っておくから、帰って来たら、温めて食べてね』


最後に交わした会話。


17時から深夜2時までの勤務。

残業が多いから、いつも何時ごろ帰ってきてるのか、朝 聞いていた。


1時頃まで夜更かししてしまったが、明日は9時から仕事だから、慌ててベットに潜った。

息子が出向を言い渡されて、ご飯も食べれず

出向先を狂ったように検索してたなんて 夢にも思わず……


救急車で病院に着いたのは6時30分前だったと思う。7時前には 死亡を言い渡された……


何も考えられなかった


救急隊の方にいろいろ聞かれた。


よく覚えていない……


救急車に乗る前に、娘達に 主人に連絡してもらってた。と言っても、長女は嗚咽で言葉にならず、次女がなんとか伝えてたそうだ。



息子は8時前には、警察署に連れられて行ってしまった。


とても、とても寒い日だった。これから、お医者さんが、手があくまで

署の冷たい安置所にずっとおかれるんだ……


担当者は、署は違えど、主人の同僚で、私も面識のある警察官だった。


いろいろ気を使ってもらったが、私は兎に角、何故、何故こうなった!何で、何で……

どうして………、それしか頭になかった。


だって、出勤するとき、息子は 笑ってた。

笑って 話してた!!!


息子が家に帰ってきたのは、19時過ぎだった。

息子の進路

息子は、工業高校を卒業して、すぐ 就職した。

高校受験でもうたくさんだったそうだ (笑)


この地域は、進学する子と就職する子、半々くらいか、進学率はそんなに高くない。就職率が高いからと選んだ高校だった。


息子が自分で選んだ進路だし、会社も何社か一日体験して、この会社 良さそうだなと感じて決めたようだった。私は 実は、同じ市内の通勤時間短いとこ、良くないかなと思ってた。


選んだ会社は隣の市にある会社だった。


就職決まってから、会社に招かれて、工場の中を案内してもらい、社長自らいろいろ説明してくれた。単身赴任中の夫も一緒に見て回った。とても安心した。

息子の選んだ会社は、正解だったと思った。


馬鹿だった。

ここで、安心しきってしまっていた。


息子は、何度も、『やめてもいいかな』と聞いてきた。

私が 息子を殺したようなものだ…

いや、事実、

『やめてもいいけど、そのあと、どうするの?』といって、思い止まらせていた。


謝っても謝っても、謝りきれない………


後悔しても、何しても、もう 息子は帰って来ない


あれから、自分のベットで眠ることが出来ない。


だって、息子が 最期のとき、私はベットで惰眠をむさぼってたから………