息子と過ごした大切な日々

2015年12月17日、21歳の息子が自死。
まだ信じられない、信じたくない愚かな母の懺悔の日々。

義父

今日は、義父の5回目の、命日。

大震災の次の年、苦しんで苦しんで

逝ってしまった……。


今でも義父には申し訳ない気持ちで、そして

なんとも言えない複雑な感情で一杯になってしまう。


気付いた時には、義父はもう何も食べられないぐらい、弱ってしまっていた。

久しぶりに出向いて、義実家についてすぐ、異常に気付いて病院の救急に連れていった。

(この時、6連勤が続いていてしかもランチタイムに夜もという苛酷なシフトだった。そして、唯一の休みは実家の父親の具合いがずっと悪く、病院に連れていくという、まるっきり休みのない状態だった。)


そして、何ともないと思っていた義母がボケ初めていた。


義父がご飯食べれてないのに、気付かない義母。

そして、薬も自分で飲めない義父に、全然気付いてもいなかった。


聞いたら『全部飲んでるよー』と、返された。 ???

薬は、2ヶ月分近く、残されてた。


結局、義父は肺炎で、ほんとに、苦しみながら逝ってしまった……。


この時も、後悔ばかりだった。


大雪の年だった。

主人が管内の職場にいたので

ほぼ毎週末、除雪に出向いてた。

足腰の弱った義父母は、自分達の通る場所を踏んで、けものみちのような道をかろうじて作ってた。

なかなか想像しづらいかもしれませんが、

田舎なので、無駄に土地が広いうえに、一週間に一度なので、雪が固められてて、重い!


ほんとに汗だくになって、必死に除雪して、もうくたくたになって戻る、ということの繰り返しで、一応声はかけても

『おじいちゃんまだ寝てる』で、主人も気付くことができず………


ほんとに、もっと早くに気付いてたら……

早くに受診できてたら……

ごめんなさい、おじいちゃん……

ほんとにごめんなさい…




今日は、お墓は雪に埋もれていて、お参り出来なかったので、彼岸には、なんとかいけないかな、と期待してるけど……

夕食は、義父と一緒にビールを飲んだつもりになって、息子の事をお願いしてみた。


ろくに、面倒みれなかったのに、お願いは、ちゃっかり……


お兄ちゃん、二人のおじいちゃんに、囲まれて、楽しく過ごしてると、いいな……。


笑ってると、いいな……。

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