息子と過ごした大切な日々

2015年12月17日、21歳の息子が自死。
まだ信じられない、信じたくない愚かな母の懺悔の日々。

14回目の月命日

昨日で、14回目の月命日。

特に何もしてない。

焼き芋、お供えしただけかな……

蜜がたくさんしみでている美味しい焼き芋。

食べてもらいたいけど……

絶対に減らないお供えもの……。

悲しいことに、息子をどこにも感じられない私がいる……。


頭痛がひどくて、起きてすぐ頭痛薬。

次女の併願受験校の入学手続きをしにいって

一緒に行った友達と買い物をした。

何でも話してる友達なので、

夜中、目覚めてしまってからなかなか寝付けず毎日寝不足気味、毎日頭痛だわ……

と口説くと、

『まだ一年だしね……

しょうがないよ……

寝付きがいいだけでも、まだいいかも…』と。


彼女は、分かってくれてる。

それだけでも、有り難かった……。


お兄ちゃん、Wi-Fi、突然接続切れちゃったよ……

いろいろ試してみたけど、つながらない……

家のインターネット関係、全部お兄ちゃんやってくれてたから、お母さんはっきり言って

よくわかんないんだけど💦💦


俺なんかいなくても、大丈夫。ってたまに言ってたけど、大丈夫じゃない❗

お兄ちゃんが足りなくて

もうおかしくなりそうだよ……


お兄ちゃん

お兄ちゃん

魂、とばして……

会いにきて………………


会いたい………

息子の存在の大きさ

毎日、笑えている。

テレビをみて…

会話をして…


ご飯も三食、食べている。

美味しいと感じながら…

外食もしてる…


眠れてもいる。

途中、何度も目が覚めるけど…


でも、何で生きてるのか 分からない


生きていく意味が 分からない


今は、まだ二人の娘を育てないといけないから、なんとか生きてる。


娘達と接していると、

この子たちは幸せになれるように…

幸せにしてあげたい…と強く思う。


でも、夜一人でいると、もう悲しみが押し寄せてきて、どうにもならない……


早く息子の側にいきたい…

早く会いたい…

どうして会えないの…

なんで、声が聞けないの…


毎日毎日、堂々めぐり……


息子が生きていた時は

私が息子を支えている、という勘違いをしていた事に気付いてしまった。


息子の存在に助けられていたのに……

息子がいたから、

子供達が揃っていたから

楽しい人生だったのに……

頑張れたのに……


虚しい毎日……


喪ってからわかる

大切な大切な存在……


お兄ちゃん、

お母さんの子供に生まれてきてくれて

ありがとうね……

もう少し待っててね……

親戚はやっぱりうるさい……

父の葬儀では、主人が喪主を務めた。

大分前に姉の旦那さんが

うちは無理ですから、うちの旦那に、と話してたそうだ。

何だそれ……

普段から一から十までうちが全てやってるのに、まだうちにやれと?!

それならそれで、うちにも一言あっていいんじゃない?!お願いしますと…。


主人は仕事忙しすぎて、ここ何年も、挨拶も簡単に日帰りでささっと済ませてるので、ご近所さんも、もう覚えていない……

そんな中での喪主

あれ誰だ?状態。なんで次女の?長女じゃないの?親戚からも言われた。


喪主だけど、たのまれ喪主?なので、しっかりと多目に香典は包んだ(あしが出ないように)

なんか、外野がいろいろとうるさかったが、こういう時って、揉めるの意外と多いよね、と諦めて、主人には、頑張ってもらった。


そんな中で、挨拶する回数があまりに多くて一回は母に挨拶してもらわれないか?と主人が言ってきた。いいとおもうけど、聞いてみるね、と電話してみたら

たかが挨拶でそんなに大変なのか、みたいなことを言われた。

すぐにはっと失言に気付いて

わかった、といってきたが……


父には気持ちよく旅立ってもらいたかった。その為にも、しっかりと準備して、合掌して、と思ってたが、心のなかは微妙に吹き荒れていた……。


主人は主人で、私が裏方に徹してお酌しに行けないでいると、姉がお酌してくれていて、姉が、頑張ってる、気がきく、と言われていて納得出来ないと、首をかしげていた。


ほかにも、ちょこちょこあって、仏送りも本当に疲れて帰宅した。


結論、《親戚って、やっぱりうるさい………》