息子と過ごした大切な日々

2015年12月17日、21歳の息子が自死。
まだ信じられない、信じたくない愚かな母の懺悔の日々。

前進

実は、長女は1月4日が実力テストで登校日だった。

寝ないで夜通し話してた娘は、当然フラフラ。しかも、私に話した安心感からか、朝方やっと眠りにつくことが出来た。


学校の先生に包み隠さず長女の状態を話した。取り合えず、心療内科にいってくるので、また連絡します、と言って電話を切った。


で、結局 お手上げ状態。


学校のスクールカウンセラーを頼ることになったが、空いてない。予定が一杯だそうだ。


そこで、初めて主人が、命の電話など、パンフレットいろいろ取り揃えて持ってきてくれた。


《あっ!》

そうだ、そんなのがあったんだ!!

すっかり忘れてた!!駄目な母だった!!


と、言うところで、担任の先生から連絡があった。教育委員会に頼んで、空いてて、尚且つ娘の学校に以前在籍してたスクールカウンセラーの先生、確保できたので、相談しましょう、と言うものだった。


ここまで、一週間位。もう学校は始まっていた。


でも、娘が納得しない。

学校に行きたくない。

お母さんが行くのも嫌。

じゃあ、家に来てもらうか、というと、それも嫌だと……。


先生が、説得しに家まで来てくれた。


なんとかなんとか、納得してもらい、学校に行くことに…。


大変だった。投稿拒否児というのは、ほんとに体調が悪くなるんだ……と、ぼんやり考えてた。

学校に行くと思うと、吐きけ、下痢、頭痛、全部来た。


冬休みまでは、兄のことがあっても、普通に通ってたのに……もう、愕然としてしまった。


でも、長女もこのままでは、マズイと思ったのか、なんとか、ほんとに頑張って学校に行った。(保健室で、担任の先生と話してただけだけど)


取り合えず、わたしが1時間ほど、相談した。


精神科の先生も紹介してもらえた。


ほんの少し、ほんとに少しだけど、光が見えた気がした……。

心療内科

長女がお兄ちゃんのところに逝きたい……と言い出した日、一日かけて、医者選び?をした。


くちコミなどで評判のいい心療内科は全て断られた。新患受け付ける余裕がないと言われ、2ヶ月後とか、早くて1ヶ月半後と言われた。ただただ吃驚した。

そんなに心を病んでる人がいるのか、と。


冷静に考えれば、命の電話とか、やまびこ電話とか、公共の窓口に相談すれば、なんとかなっただろうけど、もう、私が凄いパニックになってたんだと思う……。


もう、タウンページに頼ってしまった↓


予約なしで大丈夫という点で、もうダメだったんだと思う(今にして思えば…)


次の日、1月5日、午前中に行ってみた(余り気の進まない長女を騙し騙し…)

藁にもすがる思いで……


???な先生だった……。

どうして、うちの話を聞いてくれないで自分の話だけするんだろう??

和ませるだけ??

で、突然思い出したように、

『で、どうしたの?』と聞いてくる。

しかも、あっさり。

詳しく話そうとすると、

また自分の話…。


なんか、雅子さまの話もしてくるし……

???


心療内科は初めて。勝手はよく分からない。

けど、間違ってしまったな、と悟った。


薬も出してくれたが、説明は、

『とってもいい薬だから、これ飲んでれば良くなるよ』だけだった。

詳しく聞こうとすると、『大丈夫よ、お母さん』だった。



院内処方だったけど、薬の説明書は手書き……

マジか……

しかも、気持ちが落ち着く薬って……。


帰宅して、即効調べた。


両極端な意見が別れる薬だった。

でも、未成年に処方するときは慎重に、充分リスクを説明し、少ない量からとあったのに、いきなり成人の量からの処方だった。

しかも、希死念慮が強くなることもあるとあった!!


これで、なんとかなると思ってた私が馬鹿だった。


睡眠導入剤は、大丈夫そうだったので、飲ませてみたが、意識がまだあるのに、体が動かなくなっていってすごく怖かった……と言われて、合わないようだった。お手上げだった……


この時、初めて息子に怒りが湧いたのを覚えてる。


妹まで連れてくのか、と的外れな怒り……。

ほんとは、お兄ちゃんのことだけ想って泣いていたいのに、それも出来ない……。


しかも、結局、薬が効いて無理矢理眠りの世界に入った長女は、体は冷たいし、呼吸も凄く浅くてしてるかどうかわからないぐらい。まるで、発見したときの息子のよう。

怖かった……

ほんとに怖かった……!!


からだが震えた……


『お兄ちゃんの馬鹿!!』

この時、初めてつぶやいてしまっていた……。

最期の食事

40歳の弟が、縊死した時間は、早朝6時頃。


弟は司法解剖され、胃の中は空っぽだったそうだ……。


官舎で単身生活していた弟は、官舎では同僚に迷惑をかけてしまうと思ったのか、思いもよらない場所で決行していた。


場所が場所なだけに、最期まで、人を驚かせる弟だな、と……。


今、弟は、実家のお墓に眠っている。


そういう最期だったから、尚更 お供え物は欠かせない。


母は、お腹すかせたまま 逝ってしまった弟が

不憫で仕方ないようだ。何歳になっていても、可愛い息子だっただろうし……。


息子は、最後の仕事は、ご飯も食べれずだったが、帰宅してから、食事は取ってくれていた。

私が作った(しょっばい)親子丼。

後で、主人に出したら、

ちょっと、しょっぱいって……


いつも目分量で作るから、失敗しちゃった親子丼が、息子の、最期の食事。


なんか、申し訳無さすぎて、いつも、心の中で謝ってしまう……。


もっと、いろんな美味しいもの、食べさせたかったな……。

美味しい食事は、人を幸せにしてくれるはず……。


料理下手ではないと思うけど、上手!!ではない……。


作るのも、普通の料理。


お母さんがもっともっと、頑張ってたら、

お兄ちゃんも、頑張って生きてくれたかな……


お兄ちゃん、手抜き料理多くて、ごめんね……。

でも、ハンバーグと茶わん蒸しは、お気に入りだったよね…


お供えしよう……

息子が好きだったもの。


食べに来てね……

お兄ちゃん……